海の楼

島アンソロジー #貝楼諸島より  参加作品です。

 
 夏になるときまって四半世紀ほど前に旅した貝楼諸島のことを思い出す。人には話したことがない。だれも貝楼諸島のことを知らないからだ。そんな島、あったっけ、そういって首をかしげられる。たしかに地図を見ても見あたらない。旅の道連れだったZとは、音信不通になって久しい。
 インターネットで検索しても手がかりはなかったのだが、今年になって、ウェブ上に「貝楼諸島」でヒットする記事があらわれた。六月ごろからぽつぽつと出現し、少しずつ増えていく記事を、私は見つけしだい読み漁った。記事はどれも魅力的で、興味深かった。けれどそこに登場する貝楼諸島はちぐはぐというか、記事によって島の名前も様子もバラバラで、私の記憶とも一致しない。もともとわからなかったことが、よけいにわからなくなってしまった。

 しかたがないので、私も、私が覚えている「貝楼諸島」を書いてみることにする。
 貝楼諸島のなかでもひときわ小さな島、佐可島での短い夏休みの思い出を。

 島への旅行に私を誘ったのはZだ。その年、私は瀬戸内海の島々で開催される国際芸術祭に行くつもりで楽しみにしていたのだが、直前で開催じたいが中止になって、しょげていた。Zが私のために大学生協で探してきたパック旅行は法外に安く、パンフレットに掲載されているうつくしい写真の海は、赤文字で大きく書かれた値段で行けるとは信じがたかった。交通費もホテルも込みでこの価格なんて何かの間違いなのでは、と私があまりに疑うので、しまいにZが拗ねてしまった。
 実のところ、私はZと二人で旅行をすることに浮足だっていたのだ。Zもそうだったのかもしれない。私たちはふたりとも、写真と価格しか見ていなかった。指定された宿泊先が、本島ではなく佐可島にあることに気づいたのは、代金をすっかり払ったあとだった。しかも本島へ渡るフェリーはずいぶん中途半端な時間を指定されていて、本島から一日二便の高速船に乗り換えて佐加島に着くのは、夜だった。帰路は逆で、朝の便で本島に戻らなければならない。二泊三日といっても、実質は一日間のようなものだった。
 綿密な旅程を練っていたわけではなかった(そういう堅実さがあれば、そもそも宿の所在地や到着時刻の確認をせずに安値に飛びつきはしなかっただろう)が、めいめいにお目あてはあった。私は海上に張り出すように建てられた水族館で、この周辺の海域に棲息するシンコウという希少なハマグリを見たかった。春から夏にかけては季節限定で、シンコウたちにあくびをさせて吐いた蜃気楼の高さを競わせるショーも行われるらしい。Zのほうはシンコウを食べたがっていた。なんでも、シンコウを食べるとその夜はシンコウが吐く蜃気楼が夢にあらわれるという。しかし水族館も、Zが目星を付けていた刺身・酒蒸し・混ぜご飯・潮汁とフルコースのシンコウ料理をだしてくれる店も、本島にある。

 片道二時間かけて本島に渡り、目的の観光を遂行することが可能か、何度も話し合ったが結論は出ず、結局到着した日に宿泊先で相談してみた。私たちが泊まったのは民宿だったが、大きめの一戸建ての離れの八畳ほどの洋間、二段ベッドがある一部屋で、親戚の家に泊まっているような感覚になった。宿のオーナーは四十代半ばにみえるてきぱきした女性で、高速船の発着に合わせて港まで送迎するのはもちろんかまわないが、水族館とシンコウ料理店は本島のほとんど両端といってもいいような位置にあり、おそらく移動するだけで一日が終わってしまう、シンコウを食べたいのなら佐可島にもおいしい店はある、と教えてくれた。
「佐可島のシンコウのほうが、夢見の効果は高いんじゃないかなあ」
「夢じゃない蜃気楼も見られますか?」
「それはちょっと難しいですね。水族館がある本島の入り江がこの島の宇螺が浜とちょうど向かいあっていて、この島はシンコウがショーで吐いた蜃気楼の影に入ってしまうので。でも、宇螺が浜はとてもいいところなので、行ってみるといいですよ。とくに夕陽がきれいです」
 オーナーの助言に従うことにした私たちは、翌日に備えて二段ベッドの上と下で眠った。Zが下段で寝たいというので譲って私が上段になったが、不用意に寝返りをうてばベッドを軋ませて真下にいるZの眠りを妨げるのでは、という緊張でなかなか寝つけなかった。Zの寝息がかすかに聞こえてくるのを確認してから、私も寝入った。

 翌日は民宿でトーストと卵とサラダの朝ごはんを食べ、シンコウと並んでこのあたりのもうひとつの名産だというでこぽんをフィーチャーしたでこぽんパークに向かった。ほかに午前中を潰せるようなスポットがなかった。だいだい色の「でこぽんカー」というパーク案内用のカートに神妙に座り、広大なでこぽん畑をえんえん運ばれた。でこぽんについての説明がいろいろあった気がするが、いかんせんZも私もでこぽんはおろか柑橘類全般にとくべつな興味や愛着を持っておらず、とにかく広かったことと、売店ででこぽんケーキやでこぽんチョコなどお菓子をやたらと買い込んでしまったことしか覚えていない。
 むしろ覚えているのは、館内を進むにつれて展示が混沌としてきた資料館で、地元の名物というつながりで紹介されていたシンコウの写真パネルだ。ハマグリと呼ばれる二枚貝のなかにはたいへんな長生きの種類があり、五百七歳という記録を持つものもいる、とキャプションに記されていた。生まれたのが中国の明代であることにちなんで「ミン」と名付けられたこの貝は、動物のなかで最も長く生きた個体だという説もあるらしい。ミンには及ばないものの、貝楼諸島のシンコウたちも平均年齢は百歳を超えており、本島の水族館には三百歳のシンコウがいるという。
 数世紀を生きるというシンコウたちは、写真で見るかぎりごく普通の二枚貝だった。でこぽんパークを出て、昼食のために向かったシンコウ料理店で出された潮汁のシンコウも、大きさこそひとまわり大きかったが、見た目も、そして味もスーパーで売っているハマグリとそれほど変わらなかった。いかにも観光地の食堂らしい簡素な椅子とテーブルの店だったので、定食の味も素朴に感じたのかもしれない。おいしかったが、Zも私も少々拍子抜けした。
 このぶんでは本島の水族館とやらも、想像していたような施設とは違っていたかもしれない、我々はシンコウに夢を見すぎていたのでは、とこそこそ言い合いながら、Zと私は宇螺が浜を目指した。
 民家が建ち並ぶ細い道には観光客どころか地元の住民らしき人影もなく、Zと私だけが黙々と歩いていて、だれともすれ違わなかった。雲ひとつない晴天でひどく暑い昼下がりだったせいだろうか。埃っぽい道をえんえん歩いたさきに突然鮮やかに海がひらけ、そこが宇螺が浜だった。出発する前に目を奪われたパンフレットの写真そのままの、青い海と白い砂浜が広がっていた。

 こうしてあらためて書いてみると、はっきり覚えているようでも細部の記憶はまるで虫食いだ。二十年以上前のことだし、当時のメモも箇条書きの簡単なものしか残っていない。覚えているかぎりのことを正直に書いているつもりだが、事実かどうかは正直自分でも自信がない。ここからの話はとくに。

 何時ごろだったのだろう。二時を過ぎたころだろうか、三時になっていたのだろうか。浜辺にもやはりひとけはなく、私たちはしばらく波打ち際を歩き、疲れて砂に座った。
 海の上に何かある、と最初に言ったのはZだった。Zが指さす彼方を見ると、透明な直方体がゆらゆらと揺れている。なんだろう、あっちは確か本島の入り江だと聞いたけれど、何かあるのか、と目を凝らすうちに、輪郭がくっきりと見えてきた。
 それは空をスクリーンにして投影された映像のように見えた。どこかに映写機でもあるのか、と思ったわけでもないのだが、私は何の気なしに振り返り、腰を抜かしそうになった。背後の砂の上に、総ガラス張りの直方体のビルが建っていたのだ。
 臨海副都心の海辺の公園にでもあれば違和感がないような建物だったが、高層の建物をほとんど見かけない佐可島ではひどく浮いていた。こんな建物があれば宿からも見えそうなものだし、浜辺をここまで歩いてきて気づかないわけがないだろうに、硝子の直方体はそのときはじめてZと私の視界にあらわれた。
 私たちはどちらからともなく立ちあがり、直方体に近づいた。扉はなく、入り口はただ四角く開いていた。建物には床と壁と階段しかなく、強いて推測するなら展望台のように思えた。とにかく最上階まで行ってみよう、と私たちは階段をのぼったが、いつまでたってもたどり着かない。十階までは階数をかぞえていたが、そのうちに足の痛みでわからなくなった。私たちは床に座り込んだ。
 かなり高く上ってきたようで、宇螺が浜がはるか下に見える。海の向こうの本島や、その向こうの島々までが遠く見渡せた。
 このままずっとここにいたい。
 なぜだろう、強くそう感じたことを、今でもはっきりと思い出せる。私はその気持ちを言葉にはしなかった。Zが不安そうな声で、ねえ、戻ろう、と言った。これ以上階段をのぼりたくない。喉も渇いたし、でこぽんのジュースでも飲みに行こうよ。私は密かに残念に思ったけれど、Zに同意した。私たちは下りはじめた。
 Zも私も無言だった。透明な硝子は時間の経過とともにさらに透きとおり、上層階はまるで消えてしまったかのように見えなくなっていた。透明化が少しずつ下の階に迫っていることに、私たちは二人とも気づいていたけれど、口には出さずに足を速めた。直方体はどんどん透きとおっていく。天井が消え、壁が薄れ、私たちは走りだした。Zは私より運動神経がよく、スタミナもあり、先に浜辺へと駆け下りた。急いで、はやく、と焦れた顔でZが私を振り向く。私の息は完全に上がっており、足はもつれかけて今にも転びそうだった。もうだめ、走れない、と諦めが脳裡をよぎり、足もとの床が完全に消えた。

 その次に見たものは海を照らす燃えるような夕焼けだった。
 ああ、これが宿のオーナーの言っていた夕陽か、きれいだなあ、とぼんやり思った。そのオーナーが、砂に横たえられた私に日傘を差しかけ、Zとともに私の顔を覗き込んでいた。Zいわく、浜辺で座って休んでいるうちに私が熱中症を起こして倒れたのだそうだ。Zはあわてて宿に連絡し、オーナーがすぐに車で駆けつけてくれた、ということらしかった。
 私が硝子の直方体の話をすると、Zは心配そうに眉をよせた。あたりを見回したところで、浜にはもちろん、何もない。昼に食べたシンコウのせいではないか、とZが言うと、そんなにすぐに夢に出たりはしないものだけどなあ、とオーナーも怪訝そうにした。ともかく私たちは車で宿に戻り、その夜は早々に床に就いた。疲れていたのかすぐに眠ったが、夢は見なかった。

 翌朝、Zに蜃気楼の夢を見たか訊ねてみたが、見たけど、べつに、と不機嫌に話を切られて取り付く島もなかった。
 オーナーに港まで送ってもらい、佐可島から本島に渡る高速船を待っていたときだった。待合室のTVでローカルニュースが流れており、昨日の午後、本島の水族館で最高齢のシンコウがとびきり大きなあくびをし、めったにないほど見事な蜃気楼を吐いた、という話題をとりあげていた。画面に映っていたのは宇螺が浜で見た直方体で、その中にはかすかに人影が見えた。ねえ、あれ、とZを肘で突いたものの、露骨に気づかないふりで無視された。
 Zと私はあまり会話もなく帰ってきて、佐可島の話題はそれから二度と出なかった。それだけではなく、Zと私は嘘のように話が嚙み合わなくなり、やがて話じたいをしなくなって、疎遠になった。

 そうしてもう何年も経つのに、私だけが忘れられずにいる。あの夏の、二十歳になったばかりの私は、貝が吐き出した硝子の楼のなかに今も閉じ込められたままなのではないか、そんな想像が消えない。
 荒唐無稽な妄想だと笑われてしまうかもしれない。けれどもし、この旅行記に書かれていること、貝楼諸島、佐可島のシンコウやでこぽん、何より蜃気楼に心あたりがある人がいたら、どうか連絡してほしい。私が旅した島を、あの楼を見た人と出会えることを、私はいつまでも待っている。

コメント

このブログの人気の投稿

National Theatre at Homeに支えられた2020年のこと

コリオレイナス、そしてシェイクスピアという沼に落ちて

文学フリマ東京37に参加いたします