さよならBL短歌 2(短歌からイメージしたBLを500字で書く)

 ひとつ前の記事の続きです。『共有結晶』がきっかけで2017年から2018年にかけて書いたものの、日の目をみることがなかった文章です。
 こちらは実践編というか、見出した場面を実際に500字で小説風に書いてみたものです。

 夜の新樹しろがねかの日こゑうるみ貴様とさきにきさまが呼びき 塚本邦雄

 あの夜のことは忘れがたい。寮の裏手にひろがる立入禁止の森に呼び出された、初夏の夜のことだ。
 昼のあいだは陽光を受けてあざやかな緑にかがやいていた若い樹々が、夜のなかで銀色に沈んでいた。決闘の申し込みに応じる気持ちで赴くと、奴は思い詰めた眼で、睨むように俺を見据えた。互いに互いの心臓に狙いをつけてまっすぐに銃口を向け、引鉄に指をかけたまま対峙しているような緊張感が満ちていた。
 気に食わない男だと常々感じていた。文武両道にすぐれ、担任教師からの信頼も篤く、皆に慕われている。文句なしの優等生。だれにでも明朗快活、親しみやすい態度で接するくせに、素行不良の問題児で通っている俺にだけ、火のような視線を向けてきた。それがたまらなく苛々した。
 俺が口を開くより一瞬はやく、貴様、と奴が俺を呼んだ。いつも完璧で隙を見せることのない男のかすかにふるえたその声が、甘く潤っていたことに動揺した。そのあと奴は何と言ったのだったか、もうよく思い出せないのに、きさま、のみずみずしいひびきだけはいまも、耳に残っている。

パーティーの前にトイレでキスをしてあとは視線をはづす約束 黒瀬珂瀾

 馴染んだ香りが肩口を掠めた。三十分前、トイレの馬鹿みたいにしらじらしい蛍光灯の下で、彼のくびすじからたちのぼっていたブルガリのプールオム。あえてそちらを見ないように目を伏せてやりすごし、香気が遠ざかるのを確認してから、慎重に視線を動かした。
 シャンパングラスを手に華やかに笑う彼を、艶やかに着飾った女たちと、遠目にも高級な仕立てのスーツに太鼓腹をつつんだ男たちが取り巻いている。皆、彼の気を引くために腕や肩に触れたがり、視線だけでも投げかけてもらおうと躍起になっている。
 彼に群がっている男も女も、あの薄いくちびるがどれほど情熱的にひとのくちびるを貪るのかきっと知りはしないし、ましてこの会場内でただ一人それを知っているのが、彼の天敵、犬猿の仲と噂されている男だとは思いもかけないだろう。
「……ねえ、わたしの話、聞いてる?」
 無言で個室に引きずリこまれて噛みつくようにキスされた感触が蘇りかけたところで、傍らの妻に袖を引っ張られて我に返る。聞いてるよ、と微笑みかえして、くちびるに冷たいグラスのふちを押し当てた。

「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ 俵万智

 ――てかさ、今日まじ、さむくね。
 ――さみいね。
 ――やってらんねーわ、なんかあったかいもん食いたい。
 ――コンビニ寄ろうぜ。
 ――今日さあ、国語で、タンカだっけ、五七五七七の、やったじゃん、あれさあ。
 ――あー、あれか。なんだっけ、「寒いね」と話しかければ……
 ――「寒いね」って答えてくれる人がいてほっこり、みたいな。あれ、うざくね?
 ――……それ、ただのおまえの僻みだろ。
 ――めっちゃうぜえ! いちゃいちゃしやがって! ぼっちの身にもなれよ!
 ――ははは、みっともねー、非モテの嫉妬。
 ――うるせーな、悪いかよ、おまえだって彼女いねーじゃんかよ。
 ――俺ぼっちじゃないし。……なんか可哀想になってきた、ほら、肉まん食えよ。
 ――いらねーよ食いかけなんか、て、熱っ! ……てか、ほんとまじ、さみーな。
 ――さみーねえ。

君かへす朝の敷石さくさくと雪よ林檎の香のごと降れ 北原白秋

 君はいつも僕を起こさないよう細心の注意を払ってベッドを抜け出すのだけれど、あいにく僕も眠りが浅いほうなので、気配を察してしまう。物音をたてずに身支度をして、目をさましている僕を見て微笑み、じゃあ、とあっさり出てゆく君を、僕も軽くうなずくだけで見送る。鍵がまわる音を聞いてようやく起きあがり、寝室のカーテンをひらいて、雪が降っていることに気づく。マンションのエントランスを出てきた君が、雪を踏んで少しずつ遠ざかるのを、静謐な風景画か、モノクロの古い映画でも観るような思いで、窓越しにいつまでも眺めていた。あたたかい室内にいても、君を包む冬の朝の清浄なつめたさを感じる。シーツの中で睦みあい、熱をわかちあっても、すぐにつめたくなる清潔な君の背中。
 君に降るものはうつくしいものばかりだ。雪とか、光とか、林檎の香りとか。
 君が帰る家庭で穏やかに眠っている妻や子どもたちは、そのことをきっと知らないだろう。ひとめを避けながらのつかのまの逢瀬しか許されない、むなしい関係だと噂されているのかも知れない。けれど君について、他人が思うよりずっと多くのことが、僕には許されているのだ。

きみの夢できみを犯しているのかなきみに手を重ねる夜半だよ 安田直彦

 何の脈絡もなく目が覚めて、うすく目をあけたその鼻先にきみの寝顔があった。眉根をよせて、少し苦しそうに見える。いつものきみはもっと無防備な、あどけない表情で眠っている。睫毛に落ちる物憂げな翳りや、口の端に浮かぶ冷たい諦念も消え落ちて、穏やかで、とても幸福そうなので、ぼくはちゃんときみに安らぎを与えられている、と安心するのだが、今夜はどうしたことだろう。
 きみには誰よりも幸せになって欲しい、ぼくのこの部屋で。このマンションは新築で、設備も整っているし、3LDKに二人というのは狭すぎはしないはずだ。きみは物騒な外へ出なくてもいい、心身をすり減らして働かなくてもいい、何も心配せず、ぼくのそばにいてくれればいい。そう言うときみは虚ろに笑う。
 きみの手にそっと手を重ねると、肩がちいさく震え、吐息がもれた。眠る前、ぼくの体の下で喘いでいたきみの声がよみがえる。夢のなかでもまだ犯されているのだろうか。それなら、その相手はぼくに違いない。そう確信するとかすかな不安が消え、幸せな気持ちになる。きみの世界をぼくだけでいっぱいにしてあげたくて、そっと指を絡めた。

冬がくる 空はフィルムの冷たさで誰の敵にもなれずに僕は 法橋ひらく

 映画はSFものだった。〈オメガバース〉という世界が舞台で、そこではいわゆる男女のほかにアルファ、ベータ、オメガの三つの性があり、産ませる性のアルファと産む性のオメガは運命の相手と出会って番う、という設定だった。 
 長いこと熱烈な恋人同士だった友人のカップルが、最近、ありふれたすれちがいをこじらせて別れた。年月をかけて育てた膨大な愛情が、同じ量の憎悪になって二人のあいだにあふれた。二人がつきあい始める前から共通の友人だった僕は、二人からそれぞれに話を聞き、今のところどちらとも交友関係を持ちつづけている。
 優しいね。
 二人ともから同じせりふを言われた。いいや、二人だけではない、僕は誰からも同じせりふを言われる。誰とも争わず、傷つけあわずにいることは「優しい」という言葉の持つぬくもりとは遠い営みのような気がするのだけれど。
 映画館を出ると風が切りつけるように冷たく、空はスクリーンの中と同じに冴えて青かった。あの世界に生まれていたら僕はきっと、番うことも、発情に苦しむことも、愛のために誰かを憎むこともなく平凡に生きる孤独なベータだろう、と思った。

顔がすき だからといつて生首をねだりはしない なのに拒否して 穂積生萩

 実際、整った顔だちなのだ。塑像のようだと思う。当の本人は、くっきりした二重まぶたや垂れがちの大きな瞳が与える甘い印象をきらって、こんな顔いやだ、としょっちゅうぼやいているけれど、ファンの子たちが二言目には「顔がいい」と騒ぐのも正直わかる。致し方ない。そんなことを考えながら横顔を眺めていたら、睨まれた。
「何見てんの」「ん? 顔がいいなーって」「おまえまでそういうこと言う? ひでーな」「俺、あんたのギターも好きだけど、顔も好きだもん」
 手を伸ばして、柔らかな髪をくしゃくしゃかき混ぜてやった。顔をしかめ、唇を突き出して変顔をつくるけれど、残念ながらどんな表情をされてもかわいい。
「……キスしていい?」「えっ、なに急に。やだ」「なんでよ、ライヴでしょっちゅうやってるし、なんならそっちからしてくるじゃん」「あれはー、パフォーマンスだもん。いまここでキスする理由ないでしょ、キモい」
 残酷なことを言い放つ軽薄な笑顔もかわいいのだった。ギタープレイも、作る曲も、音楽観も思想も、顔も、ぜんぶが好きだよ、欲しいよ。あんたとバンド組んでからずっと思っていることを、きっと一生、口に出さずにいてあげる。

指頭もて死者の瞼をとざす如く弾き終へて若きピアニスト去る 大塚寅彦

 くちびるよりも指でふれられるほうが嬉しかった。鍵盤にふれて、雨のようにやさしい音を鳴らす指先は、貴方の体のなかでもとりわけ大切な部位に思えて、手をつないで指先を絡めるだけでも宝物にふれる心地がした。
 貴方の姿を思い浮かべるとき、いつも傍らにピアノがある。背をすっと伸ばしてピアノに向かう横顔が好きで、ショパンやサティをうっとりと聴きながらいつまでも盗み見ていた。一曲終えたところでようやく闖入者に気づいて、ちょっと困ったみたいに笑いながら立ち上がり、僕に近づいてきて、たった今まで魔法のように音を紡いでいた指先が頬にふれる。
 とめどなくあふれていた思い出から、ふと、我に返った。今夜はじめてこの店に出たというピアニストが、「別れの曲」の最後の一音を弾き終えて鍵盤から手をはなしたところで、やさしく、やわらかく余韻が響いていた。死んでしまった恋を終わらせるような弾きかたに顔を上げると、痩せて背が高く生真面目そうな、貴方よりずっと若いピアニストと視線があった。笑みも浮かべず一礼して去ったピアニストの背中を、いつまでも見送った。貴方には似ていないな、と思いながら。

君を愛して兎が老いたら手に乗せてあまねく蕩尽に微笑んで 堂園昌彦

 ウサギと知り合ったのは十代の頃、あだ名の由来を聞くと「兎っぽいから」という曖昧な答えが返ってきて、私もそれ以上は追及しなかった。そんなことより、天性の才覚と野心を持ったウサギと、裕福な資産家の息子という環境に恵まれた私、組めば何でも手に入ると思われたことのほうが重要だった。
 事実、手に入った。ビジネスの成功は私たちに有り余る富をもたらし、莫大な金が日々、振り込まれ、私たちはそれを片っ端から消費した。酒、時計、車、女、男、欲しいものは何でも買った。昼も夜も大騒ぎのパーティーだった。そうして遊び暮らしているうちに、湯水のようにあった財産はきれいになくなっていた。
 一緒に建てた白亜の豪邸からタワーマンションの最上階に移り、中古マンションの2LDKに引越し、二人とも還暦を過ぎた今の住処は古い賃貸アパートの一室だ。両手に何ひとつ持たず、無邪気な微笑みだけをいっぱいにたたえて、老いたウサギが何もない部屋に帰ってくる。寂しさで死んでしまわないように、私たちはあらゆる欲望を愛し、互いを愛し、寄り添って生き延びた。どこへ行ってた、とも、何をしてた、とも、何ひとつ訊かずに、私はいとしいウサギのまるい背中を撫でる。

ゆるされることよりずっと快感と知ってゆるしたことがあります 田丸まひる

 それで、どうしたの。わたしが訊くと、ゆるしたよ、と従弟は微笑む。
 学生時代の腐れ縁だというろくでもない男を、従弟は「あいつ」という人称代名詞でしか呼ばないし、写真も見せてくれないので、名前も、顔も知らない。従弟が「あいつ」に吐かれたという嘘は悪質で、ほとんど裏切りに近かった。馬鹿にされてるよ、いい加減にしなよ。そんなやつ、切りなよ。わたしなら、どれほど謝られても縁を切るね。苛々しながら吐き捨てると、従弟は困ったように笑った。
 いつもはさ、逆なんだよ。ドタキャンしても、抜け駆けしても、ごめんの一言でチャラにしてくれるから、こっちもつい甘えちゃってさ。……もちろん、最初に聞かされたときは頭にきたよ。でも、今まで何でもゆるしてもらってた負い目もあって、あんまり強く出られなくてさ。それで初めてわかった、あいつが今まで俺が何やってもゆるしてくれたのは、優しいからとか心が広いからとか、そんな理由じゃない。いいよ、ゆるすよ、って言った瞬間、俺はあいつの神様になれた気分だったよ。
 ひどく歪な関係だと思う。けれどあまりにうっとりと従弟が話すものだから、ほんの少し羨ましいような気もして、わたしは何も言えなかった。

たふれたるままなる軀 青空の奥に真昼の星は光れり 横山未来子

 もうどうにでもなれ、と思った。俺のこと好きなんでしょ、ときれいな顔で微笑まれて目の前が真っ白になり、何も考えられなくなった。だったら、いいよね? 何がいいのかわからないまま頷いて、草の上に押し倒されるのに抵抗もしなかった。
 Tシャツをたくしあげられ、背中にじかに草があたってチクチクした。細身の、筋肉質の体躯の重みを全身で受けとめながら、目を閉じることもできず空ばかり眺めていた。悦楽も苦痛もお構いなしで、人形のように肉体を扱われているとわかっていても、腕や腹から伝わってくる体温はあたたかく、それが虚しかった。
 そのまま無言で置き去りにしてくれればいいのに、最後の最後、去りぎわにやさしいキスを落とされて、どうしていいかわからなくなった。起きあがる気力もなく、横たわったまま手足を投げ出す。馬鹿みたいに晴れた空の、果てのない青のなか、一瞬、星がまたたいた。真昼の陽光にまぎれているだけで、星はいつだってそこにあって、見えないけれどないわけではない。そんなあたりまえのことに気づいて、泣きたくなった。諦めたつもりでいたこの絶望的な片想いに、それでもひとかけらの何かを望んでいたことを、知らずにいたかった。

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